仁和寺

◎2018年3月21日水
 
 皇室典範が皇位継承のルールを明文化する以前の時代において、門跡寺院の役割は、君主制に内在する後継者争いのリスクの低減に寄与したことは言うまでもなく、壬申の乱を始めとした皇位継承紛争を未然に防ぐため、皇室と仏教勢力の繋がりは必然であったと考えられる。仏教の政治力を排除するために断行された平安遷都から100年を経て、宇多天皇の治世下、仏教は君主制維持の「必要悪」として再び宮中との関係を深めていく。治天の君の座を巡る争いは、その後も度々発生したわけで、紛争解決のための手段として、経済基盤を得て台頭しつつあった武士勢力を利用したことが仇となって、武士勢力(幕府)への帝権移譲、さらには幕府に皇位継承の決定権を委ねるといった統治権の形骸化を招くに至る。一方で、英国同様、近世以前から、世俗に対して段階的に統治権の譲歩が行われてきたことが、皇位継承の安定化と君主制の長期存続を可能とした主要因と解釈することもできる。